先見の明
私がなぜ若い時から中国にかかわっていたかよく聞かれるので、今回ご紹介したいと思います 時は1978年所沢高校3年生のとある日、私は「今後は中国の時代で、中国が日本を凌駕し米国と対峙する時がいずれ到来する」とクラスメートを前にして語った クラスメート曰く「そのようなことは絶対にありえない」とか「三坂は(中国)共産党にかぶれている」とかの言葉をもらったが、私が思ったところは「5千年の歴史のある中華民族の潜在力、優秀な人材を抱える中国、13億人のマーケット、資源国ほか」どれをとっても日本が太刀打ちできない要素を中国が兼ねそろえていたからだ クラスメートから「そのように固い確信があるなら時代を先取りしてみたら」の言葉がきっかけとなり、当時中国語の権威者香坂順一先生を擁する大東文化大学中国語学科を受験、入学した 所高が進学校であったことから両親、公立高校に送り出した聖望中学の恩師には東京六大学への期待があり、それを裏切った形となり今でも後ろめたい気持ちを持っている(後日、私が学生就職志望No.1であった第一勧業銀行への就職内定を報告したとき、両親、恩師はびっくり、大変喜んでいた。この時「先見の明」があったと言われた) 大学に入学してからは、中国語をマスターすべく一日5時間以上勉強、周囲からは「大学に入学したら学生生活を謳歌するのに、三坂は勉強ばかりしている」 と言われたが、「そもそも大学は勉学をする場所なはず」と思い、意に介さなかった。角川書店中国語大辞典の編纂にも携わることができた。4回生のとき国費留学試験に合格、1982年北京外国語学院大学に留学した これが、私の中国との関わりの端緒です 鄧小平の対外開放政策で中国が大国となったのは、周知のとおりです